将来の夢

 子供の頃に憧れた夢は父親と同じ自衛官だったのですが、今にして思えば父親と同じものになりたいと思えるのは幸せなことだったのではないかなと思いますね(別に父親と同じ夢を持たなかった人を蔑んでいる訳ではない……と書かないとなんか言われそうな気がする。ないです)。

 自衛官で緑色の制服に包まれ、出発前に革靴の靴紐を縛る父親の姿は……なんでしょうね。凄く神々しいというか。かっこよかったような気がします。大人の具現とでもいいますか。子供の頃の自分には無かったものの塊でしたねアレは。

 

 ……ただ、いま改めて『何故子供の頃の将来の夢を父親の職業と同じものにしたのか』と聞かれた場合、僕は

「夢を聞かれたけど存在しなかったのでとりあえず父親に倣っておいた」

 というのが正しかったのかな、と振り返ってみて思う訳です。

 いや、父親の姿はかっこよかったんですよ。でもなりたいのか? と言われるとノーだったのでは? 形容する言葉がなかったから将来の夢、なんて小綺麗な言葉に包み、うわーお父さんと同じ仕事に就きたいなんて偉いねーボクーなんて褒められるために口からその『なりたい夢は自衛官です』なんて言葉を吐いていたのでは? と。

 

 僕が幸い(?)だったのは、その父親の職業である自衛官というモノが割と簡単に試験を受ける事が可能だったことです。まぁ試験には見事に落ちたんですが、逆にさくっと諦めがついて気持ちよくなってしまったというか。あの時の心境を振り返ると『ああ、落ちたんなら仕方ないな』なんて思って心が逆に軽くなっていたような気がします。

 つまり――漫画の題材として『夢が呪いになる』というのはまぁありがちなものだと思うのですが、それはリアルでもそうなのかなと。『なりたい』が『ならなくてはいけない』という固定概念と化してしまう事はおそらく無自覚的なものも含めるとかなりの数に登るのでは? なんてみんなが進路で一喜一憂をしているのを見て思ったのでした。

 普遍を求められる現代社会に於いて何故かOL、サラリーマンを目指すのはナンセンスと言われ、もしまっすぐ夢へと進み続けてひとつ夢を叶えたとしても『次の夢を探さない人間は愚か』みたいな。なんだかそんな風潮ないですかね。オリンピックで優勝したら次は当然二冠を目指さなきゃ! みたいな。僕は他人に何かを背負わされた途端、それを背負い投げして前方へふっ飛ばしたいなあと思うタイプの人間なのですが、今となって思うのは夢ってのもそんな『背負わされるもの』なケースが多々あるのかなと。違う場合も勿論ありますけどね。

 なんだかご大層な響きをしている『夢』という言葉ですが、もしかすると『今日は快便でした。良い日になりそうです』なんて日記レベルの。吹いたら吹っ飛ぶ程度の軽いモノなのかもしれないなと。夢を持って、散った過去を振り返ってみてそう思う訳ですね。

 だからまあ、もし将来に悩んでる! って人は、夢の許容ラインをもう少し広げて見るといいのかなあと思いました。簡単に諦めがつくなら夢なんて言葉にはしない訳だし、妥協して生きていきましょう。僕もエロマンガ描きたいなあって思って生きてたはずなのに気づいたらエロ小説を出版してました。多分そんなもんです。

 

 という事で『今まで生きて培ってきたその夢とやらは、知らず知らずのうちに世間からの外圧により作成されたレールの上にあるモノであるだけな可能性がありますよね』なんていう身も蓋もない話でした。

 今日も頑張って生きましょう。